写真集に関するノート①

September 21, 2018

 

 今月の頭に、趣味で写真集を出した。特に発表する機会や個展もないので、何度か触れていこうかなと思っている。内容はリスボン旧市街アルファマ地区という3200年以上歴史がある集落というか古代都市に近いかな、の写真である。半年間この場所で研究活動(論文執筆)をしながら、現地調査と並行して撮影を繰り返した。なにも帰国後にパッと思い立ったわけではなく、ポルトガルへ旅立つずっと前から何かしらのカタチで本を出したいなあ、というのは決めていた。もちろん本を出すためには、そのための準備だったり思考が欠かせない。それは内容の話に留まらず、建築家が写真集を出すということその意味論と、実作に通じる「姿勢」の話である。

 

 そもそも写真集とは、作家にとって「原本」を売り出すようなものだ。印刷という複製技術の土台の上に成り立っている以上、「本」という媒体は軽視できない。美術館などで展示されるゼラチンシルバープリントで出力される写真はもちろん素晴らしい、が「本にすること」その意味論を思考した作品は少ない。大抵は他者―出版社を仲介しているからもちろん装丁は外注で、「作品が一番映える」紙の選定、マージンの決定がされる。あたりまえといえばあたりまえだけれど、無名の身だからこそそこに切り込む余地があると思った。この本では一貫して、構想―撮影―装丁―出版―販売までを行っている。さすがに印刷はイニシャルコスト的に厳しいので、印刷会社さんと打ち合わせを行い仕様を決定している。出版社は自ら立ち上げ、販売はAmazonさんを活用した。JANも申請したので、そのうち古本屋さんにでも置いてもらうつもりだ。

 

 前置きが長くなってしまったが、本書では幾つもの「違反」を、前述したどのプロセスにおいても侵している。まず構想について、特に135フィルムで撮る場合、おおよそ作家は使うフィルムを限定する。というよりも、限定しなければならない。フィルムという特性上、使うフィルムが違えば色域や粒子、ラチチュードが異なってくる。被写体の世界観が「仕様」でブレるようなことはあってはならない。撮りたいイメージを、現像プロセスを、先読みする必然性が必要になるだろう。何が言いたいかというと、私は「使用するフィルムを限定する」という行為、それを辞めた。本書で撮り上げられている写真たちは全て、異なる数種類のフィルムで撮られている。しかもポジフィルム・ネガフィルムのどちらも使用していて、かつそれらは全て「期限切れ」と呼ばれる「正常に現像できる保証がないフィルム」たちである。写真評論家に知れたら「舐めてんのか」と埋められそう。よくよく見ると、色相もコントラストも異なる43枚の写真である。しかし本をパラパラめくって、これに気付く人はいないのではないかな。「ALFAMA」という固有名詞、経験の無いまるで閉じた都市を先に掲げたことで、ある“帰属した全体性”が生まれる。いわゆる先入観というものだ。例えば「ALFAMA」と画像検索をすると、とんでもない彩度の画像が飛び出してくる。もちろんPhotoshopの色調補正でしかないが、行ったこともないのにGoogleでなんとなく知った気になってしまう。実際はもっとドス黒く、闇が蔓延っていることを知らずに。大切なのはこれらが、世界各国が挙げる閲覧回数トップの写真でありインバウンドの結論であるということだ。私たちは今一度、メディアというイメージに「疑い」を持たなければならないのだと思う。すなわち本書の場合、これを自作自演した。複数のメディア(フィルム)によって、大衆化された“安価な期限切れ”を用いて、「ALFAMA」本来がもつ全体性を構築してみよう。視点を変えれば、都市は180度イメージを変える。その実践をした。とはいえプロセスをアウトプットすること自体、写真の本質から外れるのでここだけの話。しかし建築的にも重要な視野だと思いますね、特に建築写真において。

 

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